横浜の英連邦戦死者墓地に行く

お出かけ
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こんばんは、夏休み中のせきねさんです。
せきねさん、高校生の頃に沢山の先生方にとってもお世話になったのですが、そのお世話になった先生方中でも1番インパクトが強かったのが
高校1年の時に担任だった「N先生」です。


↑高2の時のせきねさん(若っ)とN先生。

N先生は、せきねさんが卒業した翌年に色々な伝説と名言と爪痕を残して他校へ転勤されたので
せきねさんは、卒業直後にたまたま1回だけお会いしたのが最後で、それから15年以上全く会っていませんでした。
(せきねさんがその昔、N先生について書いた2003年11月29日の日記はこちら

せきねさん、卒業してからずっと同窓会の役員をしているので
高校とはずっと繋がりがあったのですが、それでもN先生だけには全然連絡が取れずにいました。

高校生だった頃は「ホームルーム(帰りの会?)」が終わると、せきねさんはすぐに帰らずに先生のところに行って、先生の話をずっと聞いていました。
英語科の先生なんだけど、「詩人(ポエマー)」で授業の時に自分の書いた詩をプリントして配ったり
授業とは関係の無い自分の体験談を真面目に語ってくれたりして、いくつかの話は今でも覚えているし
せきねさんの人生において「あの時先生がこう言っていたな・・・」と思い返すような事も多く、これまでに何度か先生のお話が自分を楽にしてくれたり、助けてくれたりした事がありました。

高校時代の友達と会うと、だいたいN先生ネタで盛り上がったりして
「いつかまた先生の話が聞きたいなぁ~」とずっと思っていました。

そして、ついに今年の夏
N先生と連絡を取る事ができて、15年以上ぶりにお会いする事になりました!
(せきねさん卒業してからずっと同窓会の役員をやっていて、正直毎年大変だけどこう言う時「やってて良かった〜」と思います)

という事で、8月の第一土曜日に
先生と会う約束をした横浜市にある「英連邦戦死者墓地」へ向かいます。

まずは・・・


↑ちょっと分かりづらいけど画像だけど、電車でJRの「保土ヶ谷駅」東口へ。


↑東口にあるバスターミナルで・・・


↑3番乗り場の横浜市営バス53系統「平和台折返場」行きに乗ります。
(1時間に1本、2本しか出ていないので、事前に調べて行った方が無難です)


↑こちらが3番乗り場ですが


↑53系統以外に212系統のバスもやって来るので、うっかり乗らないように注意が必要です。

「英連邦戦死者墓地」へ行くには・・・


↑横浜市営バス53系統・・・


↑「平和台折返場」行きに乗りましょう。

バスに乗って15分程のところにある・・・


↑「永田台公園前」で下車します。


↑バス停からバスの進行方向に向かって2,3分程歩くと右側に・・・


↑森に囲まれた門があり、ここが・・・


↑「英連邦戦死者墓地」です。


↑詳細な地図はこちら。


↑門を入るとこんな感じ。


↑こちらは記載室(記帳所)。


↑中に入ると、記帳台やパンフレットが置いてありました。

毎年8月の第一土曜日の午前11時に「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」が行われており
今回は先生とこの追悼礼拝に参加します。


↑墓地の入口の所で受付をします。


↑墓地の入口にある説明。

第二次世界大戦中に世界各地で日本軍の戦争捕虜として日本に移送され、強制労働などにより日本で亡くなった1800人を超える外国人捕虜達のお墓です。


↑墓地は広くて


↑敷地内はとてもきれいに管理されていました。


↑墓地に入ったすぐの所にある案内パネル板(今年設置されたそうです)。


↑墓碑には名前や亡くなった日、年齢、遺族からのメッセージが刻まれていました。
二十代の若い兵士のお墓も沢山ありました。

墓地は国ごとに4区画に分かれており


↑入ってすぐの所にある一番広い墓地がイギリスの墓地です。
エリザベス女王やチャールズ皇太子、故ダイアナ妃などイギリス王室の方々が来日した際は必ずここを訪れるそうです。
今年もウイリアム王子がここで献花をされました。


↑イギリスの墓地の中にある「納骨堂」。


↑ここには英連邦諸国、アメリカ、オランダの兵士335人の遺灰が入った骨壷が納められているそうです。


↑追悼礼拝はイギリスの墓地で行われます。


↑ニュージーランド大使館、オーストラリア大使館、オランダ大使館、イギリス大使館の方々も参加されていました。


↑献花をして、参加者全員で追悼します。


↑牧師の関田さんのお話。


↑毎年8月の第一土曜日の11時という暑い中で礼拝が行われますが、これにも意味があって辛い強制労働の後に亡くなった犠牲者達の声を聞く意味があるそうです。
この日は特に暑くて参加したせきねさんは、日陰で立っているだけでも辛かったのですが
ここに眠る捕虜達はもっと過酷な労働を強いられたのだなと感じました。


↑追悼礼拝に参加した桐蔭学園高校の高校生による献花。


↑納骨堂に献花します。


↑その後、ご高齢の方も多いので体力のある有志の人達で他の国の墓地にも献花をします。


↑こちらはオーストラリアの区画。


↑続いてカナダ・ニュージーランドの合同区画へ献花。


↑最後に高台にある


↑インド・パキスタンの区画へ


↑献花します。


↑高台からはイギリスの区画を見渡すことができます。
英連邦戦死者墓地はとても静かで緑に囲まれた場所にあり、ここを訪れ敷地内を歩いて見て回るだけでも
きっと何かを感じられると思うし、意味があるのかなと思います。

もともと、この追悼礼拝自体は戦後すぐに始まったものではなく
1995年の戦後50年の時に・・・


↑元陸軍通訳の故 永瀬隆さん(青山学院OB)をはじめとする3人の日本人による呼びかけで始まり
8月の第一土曜日の午前11時に毎年追悼礼拝を行っているそうです。

永瀬隆さんは戦時中にタイとミャンマーを結ぶ「泰緬鉄道(たいめんてつどう)」建設時の日本軍通訳で、日本軍による戦争捕虜達への強制労働や虐待を目にし、戦後135回もタイを巡礼して戦没者を追悼し、元捕虜達への謝罪や和解に勤めたそうです。
(泰緬鉄道は「死の鉄道」とも呼ばれ、捕虜の労働により作られた鉄道は「枕木と同じ数の死者が出た」と言われる程数多くの方が亡くなったそうです。)

永瀬隆さんについて、2013年にオーストラリア・イギリスで作成された映画(日本では2014年公開)


↑『レイルウェイ 運命の旅路』では


↑俳優の真田広之さんが永瀬隆さん役を演じています。
(追悼礼拝に参加する前にコレを見たりして、少し勉強してから参加しました)

せきねさん、実は17年前の高校3年生だった1998年に


↑N先生に連れられて、この追悼礼拝に1度だけ参加したことがありました。

当時は何の事前勉強も無くただ何となく参加しただけでしたが、日本にこんなに多くの外国人捕虜がいたこともお墓がある事も知らなかったので
戦争の怖さや悲しさ、語り継ぐことの必要性や戦争について考えることの大切さ、平和のありがたさを先生に教わった気がしました。

あれから17年経って、せきねさんも父親になったし
独身だったN先生にも・・・


↑お子様が!


↑暑くてバテてしまった先生のお子様に書類で風を送るせきねさん。

せきねさん個人としては
戦争について、日本は謝罪したとかしてないとか近隣諸国と今でもモメており
お金を要求してくる場合や「千年不変」と言って来る国もあり、どうしようもない現実があるのは確かですが
今回のような追悼礼拝を通して、謝罪や和解の求めに理解を示してくれる国や人がいる事も事実なので
日本人として戦争犠牲者(外国人、日本人問わず)への追悼の念を忘れないこと、子供達へ語り継ぎ平和を継承していく必要があると思いました。
年に一度、数年に一度でも個々人で「戦争」について考えてみる時間や機会をもつ事が大切だなと思いました。

こちらの墓地自体は1年を通して参観する事ができますし
もしも、興味がある方は
「英連邦戦没捕虜追悼礼拝実行委員会」さんが毎年8月の第一土曜日の11時から行っている
英連邦戦没捕虜追悼礼拝にも参加してみてください(誰でも参加できます)。
せきねさんもいつかお子さまを連れて参加してみたいなと思います。

参考に記帳所でいただいた



↑「英連邦戦死墓地」のパンフレットと



↑英連邦戦没捕虜追悼礼拝のパンフレットを載せておきます。

追悼礼拝の後は・・・


↑N先生のクルマに乗せてもらって、近くのファミレスへ。
昔はオフロードバイクを乗り回していた先生ですが、現在はエコなプリウスに乗っていました。


↑ピカチュウも乗っていて、独身時代の生徒達に厳しかった先生しか知らないせきねさんにとっては「月日が流れたな・・・」と言った感じでした(笑)。

でも、先生はあの頃と全然変わっていなくて
ファミレスであの頃と同じように下の名前で呼んでくれて、あの頃と同じように色々な話を聞かせてくれました。

高校生だったせきねさんも35歳のおっさんになってしまいましたが


↑この歳でこのタイミングでもう一度先生にお会い出来て、お話を聞けて良かったなと思いました。
先生ありがとう。

以上、70回目の終戦記念日の日記でした。

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